ラボ子の日記

阪神・淡路大震災体験記&PTSD① 避難所の中学校は鍵が閉まっていて入れませんでした

阪神・淡路大震災体験記

震災から時間が流れて、もはや被災地でも震災を全く知らない世代が教壇に立つようになりました。体験の風化が避けられません。被災者の声を残していきたいと思います。

1995.1.17   AM5:46

ものすごい揺れとともに目覚めた。あまりの激しい揺れで、かつ、その揺れの時間は長い。寝ている私たちを鏡台やテレビや婚礼タンスなどが凶器となって襲ってきた。

電灯も激しく揺さぶられて割れてしまった。その破片が雨のように上から降ってきた。10ヶ月の息子を間に川の字で寝ていた私たちは、とにかく彼の上に覆い被さって小さな命を守った。

数回の余震が治まったあと部屋を見渡してみるとそれはそれは悲惨な状態だった。結婚して小さな命を授かって、静かに平和に暮らしてきたあの部屋はもう何処にもなかった。思い出一杯の新居での生活は、たった1年半で終わってしまった。

見ず知らずの人々のやさしさ

外にはパジャマ姿に毛布をまとったマンションの住民たちが集まっていた。全員、着替える余裕などなかった様子がわかる。私も、パジャマだった。

1月の寒い朝にパジャマと毛布はきつかった。が、物がぐちゃぐちゃで、何がどこにあるのか見当もつかなかった。

○○中学校に行こう。」と誰かが提案し、86世帯が、ぞろぞろ大移動を始めた。だが中学校は鍵が締まっており入れなかった。

校門の前でひたすら門が開くのを皆で待っていた。「私ら大人は寒いのは我慢できる。しかし10ヶ月の息子が、この寒さに耐えれるだろうか・・・」と心配していたら、中学校の向かいに住んでいる見ず知らずの男性が、自分の車を提供してくれた。

「車、暖房しといたから、赤ちゃんこのなかに入れてやり。」と暖かい言葉をもらった。

見ず知らずの私たちのために、手を差し伸べてくださったこのやさしさを、私は一生忘れないだろう

明日に続きます

 

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