ラボ子の日記

阪神・淡路大震災体験記&PTSD③ やさしかった人々VSやさしくなかった人

阪神・淡路大震災体験記

震災から時間が流れて、もはや被災地でも震災を全く知らない世代が教壇に立つようになりました。体験の風化が避けられません。被災者の声を残していきたいと思います。

やさしかった人々

まず、大学の同窓会。どこで調べたのかわからないけれど、阪神支部から全壊家庭に、蘭の「花キュピット」が送られてきた。これには感激した。やさしさいっぱいのメッセージも添えて。

次に、職場の互助会みたいなもの。全壊家庭を六甲のホテルに招待してくれた。夫の両親を招待して、一緒に出かけた。「こころとからだを癒してください。」のようなこの企画には、感激して泣けてきた。

あと、子育てサークルの知人。私の安否を心配して、警察にまで電話をかけて探してくれた。また、このサークルでは、300円分の切手を送ってくれた。そのやさしい心遣いを、私は決して忘れない。

あとは、お互いの両親。居候の形で、ずいぶん長くお世話になった。私の実家には、家が落ち着くまで、家具を全部置かせてもらった。家が、狭くなるのに、文句も言わず、「困ったときはお互い様。」と言ってくれた。夫の実家には、食事から何から何まで、おんぶに抱っこだった。食費を出しても、決して受け取らず、「これから家の再建で、またお金たくさんいるんだから、置いとき!」と言ってくださった。

たくさんの人に助けられて、あの修羅場の日々を乗り越えられた。息子の入院中は、両方の親も入って、看病のローテーションを組んでくれた。看病中も、仕事に行けていたのは、両方の親のサポートがあったからである。

その他書ききれないほど、たくさんの人に支えてもらった。震災はつらい経験だけど、けれども、人のやさしさにたくさん触れた貴重な日々でもあった。

 

やさしくなかった人々

残念ながら、人の本性を垣間見るのも、本当に困っているときだ。

日頃、どんなにいい事を言っているひとでも、土壇場では本性がわかる。

ある団体での役員決めのことだった。その年は、私がお世話係になるはずだったのだが、家もない、息子が入院しているという、このような状態では、とてもとても引き受けられなかった。で、来年度の順番の方に、今年と変わってもらえないかどうか、かなり遠慮しながら相談してみた。

開口一番、「あなた!いつまで、地震のこと、言ってるのよ!」。

この方の仕事は、傷ついた人をサポートする職業である。みんなの前では、立派なことを言うくせに、目の前の困った人には、ずいぶん冷たいもんだと思った。自分は無理でも、何か良い方法はないかと一緒に考えていくという方法もあったのに・・・。

彼女の一言は、今も忘れられない刃物のような一言である。

明日に続きます

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